「自由・平等・博愛」
民主主義国家の人権思想は、フランス革命の「自由・平等・博愛」の精神を基本としています。戦後の日本国憲法もこの精神の影響を大きく受けています。しかし、この言葉の表面だけを捉えてしまっているために、残念ながら、おかしなことになっている面を多く見受けるのです。「自由」の裏側には義務や責任があるのですが、勝手気ままに考えたり行動したりすることが、人の権利であるように思っている人がいます。実はとんでもないことで、自由を得るためには、その前に、義務があり、責任があるのです。このことを果たせて、初めて自由人と言えます。「平等」も同じで、この言葉の裏側には区別という意味が含まれているのです。何でも皆んなを等しく遇するということではなく、同じように努力した人には等しく遇するということで、努力の具合により、区別することが本当の意味の平等なのです。同じく「博愛」にも、そこには厳しさが同居しています。厳しさのない溺愛とは違うのです。親は自分の子供に、特別の愛情を持っているものです。だからこそ、子供が人様にご迷惑のかかるようなことをしたときには、厳しく叱り躾けます。それは、我が子に本当の愛情があるからです。よその子が同じことをしていても知らない顔をしているのが普通です。本当の愛情の裏には厳しさがあるということです。サンワの社員には、このようなことを理解した上での、「自由・平等・博愛」の精神を大切にしてもらいたいと思います。
山川和邦